ドリルの穴
2月17日はADR学術交流研究会,2月19,20日は入江秀晃さんの調停トレーニング,さらに2月21日は相談員講師養成研修会というのがありました。ADR関係の企画が立て込んで,ブログを残すのも大変です。
まずは,2月17日の研究会の記録。
近畿司法書士会連合会会員と大阪大学の仁木恒夫准教授とその学生さんとで,ADR学術交流研究会というのをしていますが,現在仁木さんはアメリカのコロンビア大学に留学中で不在。2月17日は,甲南大学の西田英一先生に来ていただいて,お話を伺いました。
西田先生は,法社会学者ですが,一時期マーケットリサーチ会社に勤めて仕事をしていたという経歴をもっておられます。ご本人に拠れば,法社会学のフィールドワークとマーケットリサーチの仕事は大した違いはなく,違ったことをしている自覚はないということだそうです。
今回は,調停のスキルとかいった現場の場面から「少しカメラを引いて」,紛争に関わる当事者の「紛争スキル」に目を向けるというお話を,「プロセス」「使う」「探索」「声」「キッカケ」をキーワードにして,聴かせていただきました。
詳細は省略させていただこうかな。
「ドリルの穴」というのは,西田さんがよくされるお話だそうで,いかにもマーケットリサーチ的なエピソードです。
「お客さんが,1/4インチのドリルを買いにやってきた。彼が欲しかったのは何だろう?」という設問。
答えは,「1/4の穴」。
顧客は,「ドリル」そのものが欲しいのではなく,その道具を使って,「穴を開けたい」だけなのだ。ドリルメーカーは,ドリルという道具が永遠に続くという錯覚をしてはいけない,という話です。
ドリルメーカーを,「司法書士」とか「司法書士制度」と置き換えても同じですね。ちょっと怖い話です。「1/4インチの穴」というニーズも決して固定的なものでもないのでしょうが,供給側からではなく,需要の側から見るほうがよいというのは全くその通りですね。
西田先生には,
・当事者は(人間はと言ってもよいが),常に探りながら,外界と関わっている存在である。
・専門家が依頼者のために良かれと思ってしていることは,往々にしてその依頼者の欲していることと相反することがある。何が依頼者にとってよいことなのかは,その依頼者にしか分からない。
・言葉にしたとたんに再構成されて,違うものになってしまう。言葉ではない,「声」の働きがある。
等,いろいろと示唆的なことを提示していただきました。どこかにクリップで留めておきたい示唆でした。
特に,専門家が良かれと思うことが本当によいのか?という指摘は,とても身近なものです。
例えば,紛争解決にあたって,「紛争解決規範」を適用するという場合,それが,当事者にとって良いことであるのか?それは専門家の思い込みではないのか?といった疑いを持ってみることが必要ではないかと感じました。
当事者が本当に思っていることを知るのは難しいだろうなとは思いますが。
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