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朝の風景

  • 稲刈り2012
    みゆが子ども園に通っていた頃の,登園路の朝の風景。 田んぼの間の道を通って,四季のうつろいが感じられました。

事務所周辺の風景

  • お花屋さん?
    事務所の周辺,元町あたりの風景。

2013.07.13箱館山ゆり園

  • ゴンドラ(下り)
    高島市の箱館山にあるゆり園に行きました。 麓からゴンドラに乗って山頂に。斜面の傾斜が急で結構怖いです。 ゆり園は,一面のゆりの花とキッズランドのコラボ。 ものすごい数のゆりに感動する大人とキッズランドを楽しむ子ども。なかなかよくできたバランスですね。 結構楽しめました。 山の上はやはり涼しいですし,避暑にはよいですね。

2012.12.02坂本ケーブル

  • 延暦寺駅から浜大津方面を望む
    「坂本ケーブルに乗って紅葉を見る」というテーマで,さわりん(妻)とみゆ(6歳)と3人で出かけました。 大津市の坂本から比叡山を登る「坂本ケーブル」。さわりんも私も初めて乗りました。日本で最長のケーブルカーだそうです。 元々は比叡山の紅葉を見ようということだったんですが,遅くなってしまって,比叡山は紅葉ではなく少し雪がついていました。 麓の日吉大社で紅葉も見られて,満足。

2012.11.10陽なた村フェスタ

  • 桂 紅雀
    石田町の陽なた村の秋のフェスタ。東洋ビルホームさんからご案内があり,今年もお邪魔しました。

2012.08.26総合防災訓練

  • ヘリコプター3
    守山市の総合防災訓練が,小津小学校で行われた。 小津学区の自治会が避難訓練に参加して,小津小学校に集合。 うちの家族は,私が自治会の消防隊員にあたっていたり,中学生に参加要請があったりで,一家5人が参加することになった。 ところが,全員寝坊で,自治会の避難場所への集合時刻に遅刻。あたたた。 小津小学校への移動には間に合ったので,一緒に歩き。遠足のようでちょっと楽しい。 小津小には,消防車やら,災害時の作業車やらが集結。ヘリコプターも出動して,壮観だった。

2012.07.27熱気球

  • 気球を見上げる
    結婚8年は「ゴム婚式」というそうでして,さわりん(妻)が,その記念に気球に乗りたいと言って,なにやらいろいろ調べていましたが,意外に近場,草津市の烏丸半島で乗れることを発見したらしいです。 http://www.kanko-kusatsu.com/event/1319 期間限定で,早朝から。今年は今日が開始の日です。 結婚記念日には未だ早いですが,この機会を逃すまじということで,朝5時から家族5人で出掛けました。 会場には5時15分ごろ到着して,2人目の受付。いい感じです。 開始の6時まで,並びながら気球が準備されるのを見て,始まるとすぐに呼ばれて青い気球に乗せてもらいました。 上に上っている時間は短いもので,上って降りてくるだけですのでちょっとあっけない。 しかし,間近に気球が見れたことは,面白い体験でした。 今日はその後,みゆ(5歳)はこども園,私は仕事。朝活ですな。

2012.04.28都をどり

  • 緑が美しい
    京都の祇園,甲部歌舞練場に,都をどりを観に行きました。 最初で,たぶん最後ですね。 恥ずかしながら,上演中は少々居眠りをしてしまいました。 芸妓さん(?舞妓さん?)の発表会という感じでしょうか。絵とか書とかのお稽古事の作品なんかも展示してあって,そういう初々しさを楽しむ会ということなのかなと思いました。 例えて言うと,伝統芸版のAKB48ですね。順序は逆ですけれども。 着物のご婦人を何人も伴った,いかにも“大物”風の方も拝見し,ここならではの雰囲気を楽しませていただきました。

2012.04.01グルメサーカス

  • うさぎ
    竜王のドラゴンハットであった,「グルメサーカス」に出かけました。 全国のご当地グルメの屋台が出店して,この日は「横浜銀蝿」のライブがあるということでしたが,私もさわりんもそれには特に興味なし。ちょっとお出かけという感じです。 ドラゴンハットは,器としてはいいですね。雨が降っても大丈夫ですし,この日はちょっと寒かったですが,風除けもあって体感温度も大分違うと思いますし。 「グルメサーカス」自体はどういうコンセプトなのかよくわかりませんでしたが,みゆ(5歳)は陶芸体験を楽しんでいたようです。

2012.01.02初詣

  • 帰るぞー!
    みゆ(5歳)となお(4歳)(姪)を連れて,さわりん(妻)と小津神社まで初詣。 寒い中,2キロほどの距離を歩いててくてくと。 少し雨がぱらつく中,小津神社に到着してお参り。 パンを食べてエネルギーを補給して。歩いて帰るぞ。オー! しかし,帰り道の途中で雨が多くなってきて,おばあちゃん(さわりんの母)の車に回収されてしまいました。 小さい遠足。

2011.12.23もりやまいち

  • 富士宮焼きそば
    「もりやまいち」「100円商店街」がありました。 もえ(14歳)ひな(14歳)の学校でも屋台を出していて,もえ,ひなも午後の店番をすることになっていたので,見物に行きました。 霙が降る天気で,コンディションは良くない。あまり長居はできませんでした。 もえ,ひなは,夕方に帰ってきて,「疲れたー。」 おつかれさまでした。

2011.12.07大津港

  • アーカスと琵琶湖ホテル
    大津司調会館(司法書士会と土地家屋調査士会が一つの建物に入っている)で会議があり,始まるまでに少し待ち時間ができてしまったので,近くの大津港まで散歩しました。

2011.11.20支部旅行

  • 清洲城から伊吹山方面
    滋賀県司法書士会草津支部の日帰りバス旅行で,名古屋まで行きました。 さわりん(妻)とみゆ(5歳)はお出かけ中,もえ(14歳)とひな(14歳)は,期末試験前でさわりんから自粛命令が出て,うちの家族は私一人でした。 こうきくんとみくちゃんの2歳の子どもちゃん2人が参加したので,私は子どもちゃんたちを構って楽しんでいました。みくちゃんに「おにいさん」とか呼ばれて,これはちょっと気恥ずかしかった。 リニア・鉄道館 → 南極観測船ふじ → 清洲城 というルートです。 リニア・鉄道館は,マニアには堪らないんだろうけど,私はどう楽しんだらいいの?という感じ。しかし,鉄道史は文化史でもあるので,こういう記録を遺していくことは必要なんだろうと思います。 南極観測船ふじでは,ガイドさんに案内をしてもらっていろいろ教わりました。 不覚だったのは,ドラマの「南極大陸」に出てくる船だと思ってしまっていたこと。あれは,宗谷でした。 ちなみに,宗谷は“耐氷船”で,その後のふじは“砕氷船”だそうです。ふじは,氷に対して,前進後退を繰り返して,氷を砕いて進むということで,その前進後退の回数は,1回の航海で平均1800回に及んだそうです。 清洲城は,平成の時代に作られた天主閣(なぜか“主”なんです)ということで,大河ドラマの歴代の衣装が展示されたりしていました。 私としては,「清洲」という場所が分ったということで勉強になりました。

2011.11.6知恩院

  • 三条大橋
    京都に行く用事があり,知恩院に寄ってみました。 さわりん(妻)は,知恩院の七不思議みたいなのを調べて行きましたが,工事中のところが多くよくは見られなかったようです。

2011.09.10-11白浜

  • かき氷
    おねーね(さわりん(妻)の妹)一家との旅行です。 私のところが,私,さわりん,もえ(14歳),ひな(14歳),みゆ(4歳)の5人,おねーねのところが4人,合計9人の大人数です。 台風12号で,この白浜のあたりも相当な雨風があったと思います。行き帰りにも何台か自衛隊の災害派遣車両に出会いました。 両日とも晴天で,暑かったですね。天気のせいもあると思いますが,白浜は,南国ムードという感じで,リゾートだなーと思いました。

2011.08.21近江八幡てんびん祭り

  • THINKステージ
    ひな(14歳)が通うダンススタジオのステージがあるというので,さわりん(妻),みゆ(4歳)と観に行きました。 近江八幡の市役所の前の通りを歩行者天国にして,なかなかの賑わい。 守山の夏祭りよりエリアが広いのか,比較的混雑は少なく,過ごしやすい感じでした。

2011.06.26震災復興支援イベント

  • ゆるキャラ
    大阪,ツイン21で,近畿司法書士会連合会主催による,東日本大震災の復興を支援するイベントがありました。 私は,まあひやかしに立ち寄ったという程度でして,さわりん(妻)とみゆ(4歳)と三人で1時間ほど会場をうろうろしました。 復興の支援に貢献したといえば,福島のお酒を一つ買ったぐらいですが,賑やかしということで。 企画・運営されたみなさま,おつかれさまでした。

2011.0612小谷城址

  • ステージ前に哀愁漂う人影
    滋賀県人ですので,今年,やはりここは行っておかねばと思っておりました。 梅雨の晴れ間ともえ(14歳)ひな(14歳)の部活の合間を縫って,1000円高速で向かいました。 下調べほとんどなし。とりあえず行ってみようといういい加減な見物。 下から本丸跡まで,歩いて小1時間ということで,ちょっとした山登りですね。 本丸からさらに大嶽山の頂上まで続きますが,本丸跡までで目標達成ということで下山しました。 下山して,博覧会場で休憩して,何とはなしに,「歴ドラ隊」のステージを観てしまいました。 女の人ばかりの,宝塚風。藤丸君(男役),すっかり役にはまっている感じ。 「プリキュアショーの勝ちやね。」とさわりん評。 それなりに楽しめました。

2011.05.28讃岐

  • 加美代飴 開けると
    「高松で讃岐うどんが食べてみたい」と,さわりん(妻)がここ何年か言っておりました。 この週末,ふいに「行ってみようか」ということになり,家族で日帰りドライブに出掛けました。 目的は,讃岐うどんのハシゴをすることと,こんぴらさんで五人百姓の飴を買うこと。 明石海峡大橋→鳴門大橋→わら家(屋島)で「たらいうどん」食→こんぴらさん→セルフうどん(玉吉)で「温玉ぶっかけ」と「醤油うどん」食→帰途 四国高松まで日帰り。今時の高速道路はすごいですね。

2011.01.30なばなの里

  • おまけ
    三重県長島のなばなの里に行きました。 ウインターイルミネーションというのがされていて,去年のうちに前売り券を買ったものの,なかなか行く機会がなかったのでした。 新名神高速というのができて,守山から長島のあたりは本当に近くなりました。 なばなの里のイルミネーション,なかなか美しいものでした。 でも,寒かったー。

2010.11.25-28北海道

  • B個室上部寝台
    旅のテーマは「トワイライトエクスプレスに泊る」です。 ゴージャスでしょう? さわりん(妻)が,寝台車に乗りたい,トワイライトエクスプレスに乗りたい,と言って,格安のツアーを探してきたので,みゆ(4歳)と同行しました。 伊丹空港→新千歳空港→小樽(泊)→旭山動物園→札幌(泊)→トワイライトエクスプレス(泊)→京都 という行程でした。 みゆを連れての初めての3人旅。ぐずったりしないか少し不安がありましたが,楽しく旅を満喫しました。 今頃のシーズンの北海道は,ちょっと中途半端な,オフシーズンという感じ。トワイライトエクスプレスも少し空席がありました。おかげで快適でした。

2010.10.30-31和歌山

  • 和歌山城から
    10月30,31日にJR和歌山駅前でADRの研修会があり,ついでに家族で車に乗っての一泊旅行にしました。 10月30日朝は,台風14号が紀伊半島の沖合を通過中。台風による天候の悪化を心配しながら出掛けましたが,なぜか30日は雨も降らず比較的穏やかな天気でした。台風が通過した後の31日のほうが雨降りで,妙なものでした。

2010.09.25-26天橋立・伊根

  • 股覗き(ビューランド)
    さわりん(妻)とみゆ(3歳),それからおねーねー(さわりんの妹)一家と旅行に行きました。 「舟屋に泊る」がテーマでした。舟屋というのは,舟の倉庫のようなものですが,これは京都府の伊根町独特のものです。 伊根町の行きと帰りに天橋立に寄って観光しました。さすがにいい景色ですね。

2011.08.23伏見桃山城

  • 五七の桐
    伏見簡易裁判所に行って,その後の予定の関係で空き時間ができたので,近くの伏見桃山城址に行ってみました。 大河ドラマ「江」を観て触発されて観に行ったのですが,少々うらぶれた感じでしたね。残念ながら。 その昔(といっても昭和の話です)には桃山キャッスルランドといいう遊園地があって,私も小さい頃に来たはずです(写真がありました)。今は無くなってしまって。 さびしいね。

2010.09.23和歌山

  • ようこそ和歌山へ
    和歌山県司法書士会館で,近畿司法書士会連合会ADR運営委員会主催のトレーニング(研修会)を行いました。その時の写真。

ブックレビュー

2013年1月10日 (木)

「かつどん協議会」原宏一著

3つの小説が収録されている。
表題作の「かつどん協議会」もそれなりに面白いが,むしろ「くじびき翁」,「メンツ立てゲーム」が秀逸だと思う。
「ロトクラシー」とか「謝罪士」とか,ちょっと有り得ない突飛な話だが,読んでいるとそう突飛でもないと思える。結構まともな政治制度論であり,文化論だなと思うのだ。
あまりまともに考えると,著者から「ただの小説ですから」と茶化されてしまいそうだが。

2012年12月 3日 (月)

「『世間』とは何か」 阿部謹也・著 講談社現代新書

昨年の1月に近畿司法書士会連合会のADR分野研究会で,奈良の吉田智弥さんという方から,「日本では『世間』という独特の精神性があって,それが紛争の解決と関係があるのではないか」というお話を伺いました。
それから,「世間」というワードに関心がありましたが,最近兵庫の乾さんからFBでこの本の紹介があったので読んでみました。

万葉集から吉田兼好,親鸞,井原西鶴,夏目漱石,永井荷風,金子光晴と,日本人が「世間」,「よのなか」をどう観てきたのかということが書かれています。
名著といえば名著なんでしょうが,正直私にはよくわからない内容でした。無駄話が多くて好きになれませんでしたし。

著者は社会科学者であるが,西欧の流れから来た「社会」という概念(自立した個人の集合としての社会)と日本人が日常意識として持っている「世間」とは全く異なるものでありながら,社会科学者がその違いをないものとして客観的に「社会」を論じることに違和感を持ったことから,この「世間」の考察をしたのだということらしいです。

私としては,鎌倉時代の法に「起請文失(きしょうもんしつ)」という条があったということを興味深く読みました。
刑事事件の被疑者が宣誓書のようなものを書いて,その後27日間の内に,鼻血が出たり烏におしっこをかけられたり近親に死者が出たり…ということがあれば,その宣誓書は虚偽とみなされるというような条項です。
とても不合理に思えますが,現在でも喪中欠礼という習慣は普通にあるので,現代人もその時代の精神性とは無縁ではないともいえます。

本書を読んでも,「世間」というのはよくわかりませんでしたが,今後の何かのヒントにはなるかもしれません。

2012年10月18日 (木)

「小説 中江藤樹」

中学3年から高校2年まで安曇川町に住んでいました。そこでは中江藤樹という人が敬われいるようでしたが,当時は何の興味も持ちませんでした。何をした人なのかも知らないまま何十年。
先日,図書館で童門冬二の「小説 中江藤樹」という本のタイトルを見て,急に興味が湧き,本を手にしました。
童門冬二氏の文章は少々くどいというか説教くさいというか,正直ちょっと退屈でしたが,読み進むうちに中江藤樹(与右衛門)という人への興味が増しました。
丁度,少し前に読んだ「天地明察」と時代が重なっているということもありました。
「天地明察」でも,戦国の世から泰平の世に移る新しい時代の武士ということが一つのテーマとして描かれていました。しかし,幕府への恭順を促す老中酒井の政策は肯定的に捉えられています。中江藤樹は,思想的にはこの政策には批判的な立場をとっており,その対比も面白く感じました。
江戸時代,「学問」といえば儒学を指したのでしょう。今の「学問」という語感とは随分違うかもしれません。西洋で謂う「哲学」ということになるでしょうか。
幕府の奨励する朱子学では,主君(その頂点としての将軍)に従順な者が善しとされている。近代的な主体-客体という捉え方でいえば,客体に全面的に規定される人間像がおかれている。これに対して,中江は,人の主体性の発揚ということを重視した。そんな風に私は解釈しました。
後に「近江聖人」と言われるようになった中江が何を考えたか,もう少し追ってみたいなと思います。

2012年7月31日 (火)

「『静岡方式』で行こう」

7月29日の「しが生活支援者ネットシンポ」の際,浜松から来ておられた伊藤正秀さんから購入した本。読んでみました。面白かったので紹介しておきます。

「静岡方式」で行こう

サポーターができるかっていうと,躊躇するけど。

2012年5月17日 (木)

「三匹のおっさん」

有川浩「三匹のおっさん」(文庫版)読みました。

痛快です。
そしてとても真っ当。

ステキです。…ノリさん。

三匹のおっさんHP

2012年4月17日 (火)

「学び」とは別人になること

「身体を通して時代を読む 武術的立場」(文春文庫)という本を最近読みました。
武術研究家の甲野善紀さんと武道家で神戸女学院大学教授の内田樹(たつる)さんの対談録です。

“最近”といっても,読み始めたのは半年ほど前で,1回読んだのですがあまり消化できなかったのでポツポツともう1回読んでみたという本です。

最近読んでいる本は,他に,「これからの正義の話をしよう」(マイケル・サンデル),「反幸福論」(佐伯啓思),「反哲学入門」(木田元)で,通底する内容があるなーと思いながら,それらもよく消化できておりません。

「身体を通して…」も,いわば反哲学だなと思います。近代科学的なものの見方に対する批判があって非常に面白いです。

私は数年前から,甲野善紀さんの身体操作術に興味があり,この方の著作を見つけるとつい買ってしまいます。「身体を通して…」では,対談相手の内田さんの切れ味のよい話に感心しました。

内田さんは,最近,朝日新聞の求人欄に「仕事力」という文章を4回シリーズで書いておられるようです。私は,紙面では15日に第2回目のが掲載されていたのを読みましたが,ウェブでは3回目までのが出ているようですね。

第1回 第2回 第3回

なかなか面白いです。

「身体を通して…」では,「『学び』とは別人になること」ということが論じられているところがあるのですが,第2回の内容と重なりますね。

「学び」とは別人になること。
京都司法書士会調停センターの設立記念シンポジウムで,和田仁孝教授が,スキルとは「知識・経験・適正に裏打ちされた能力,振る舞いを統合する非意識的能力と態度」であると話されましたが,それとも通じることだと思います。

あまり焦点の定まらない文章ですみませんが,新聞で内田さんの文章に接して,ちょっと書きたくなってしまいました。

2012年2月23日 (木)

宮部みゆき「名もなき毒」

宮部みゆきの「名もなき毒」という小説を読んでいます。

“読んでいます”というのは,まだ読んでいる途中だということです。

読んでいる途中に感想を書くというのも変ですが,ぐっと来るようなセリフがあったので,書き留めることにしました。

「その娘に,正義なんてものはこの世にないと思わせてはいけない。それが大人の役目だ。なのに果たせん。我々がこしらえたはずの社会は,いつからこんな無様な代物に堕ちてしまったんだろう。」

前後の脈絡がわからないと何のことかわからないでしょうが,小説の面白味を欠いてしまうので,説明はしないでおきます。

宮部みゆきの小説には,時折,はっとするようなセリフがあります。

「模倣犯」でも,正確には覚えていないのですが,「嘘は,どこかに行っていても,必ずそいつのところに返ってくる。」というようなセリフがあって,それがとても心に残っています。

おとぎ話の“教訓”みたいな感じでしょうか。

だいたいは,宮部みゆきのマジックにかかって(?),話に引き込まれて夢中になって読んでいるだけなのですがね。

2011年8月17日 (水)

北森鴻「暁英」

作家・北森鴻の遺作となった,「暁英 贋説・鹿鳴館」を読みました。

「読んだ」といっても,この小説は未完なので,結末には辿り着いていないのですが。

北森鴻氏が亡くなられたということを私が知ったのはごく最近のことです。久しぶりにアマゾンで同氏の小説を何冊か購入したら,その本のカバーに「2010年1月25日逝去」と書かれていました。享年48歳だそうです。

私は,5年ほど前から北森氏の小説を愛読しておりました。亡くなってから1年半も亡くなったことを知らなかったのですから,ファンを自称する資格はないのかもしれませんが,文庫になった本はだいたい読みました。

北森氏の小説(ミステリー)は,プロットが見事で,結末のどんでん返しにいつも唸らされました。

どんでん返しのすごさという点では,「メビウスレター」が印象的でした。ちょっと設定に無理があるかなという難点はありますが,二転三転する結末には,ほんとに「してやられた」感じがしました。

「共犯マジック」の結末も,「あー,そう来るか!」とある意味感動的でした。

「裏京都シリーズ」の舞台となっている,京都・嵐山の千光寺にも行きました。3年ほど前にことです。返事が届くかもと,寺の帳面に北森氏宛のメッセージを書きましたが,返事はもうもらえないということですね。

「暁英」とは,鹿鳴館を設計したと言われるジョサイア・コンドルのことです。コンドルは,明治10年(1877年)に来日し,工部大学(現在の東京大学工学部)で建築家の養成するかたわら,数々の建築物の設計を行った人物で,67歳で亡くなるまでの40余年間を日本で過ごしました。

北森鴻氏は,幕末から明治の日本を舞台にした小説を好んで書いておられるようで,「暁英」もその一つです。北森氏が亡くなられた時,この小説は雑誌に連載中でした。すでにかなりの分量を書かれており,未完とはいえとても読み応えがあるものです。

北森氏の,この時代への思い入れが伝染するのか,コンドルや鹿鳴館への興味がふつふつと湧いて来ます。未完であるが故に,本当の“ミステリー”といえるかもしれません。

しかし,最後まで読みたかったですね。

もっと書いてもらいたかった。

遅くなりましたが,ご冥福をお祈りします。

2010年12月16日 (木)

「忘れられた日本人」

宮本常一著「忘れられた日本人」(岩波文庫)を読みました。

読み終わったのは1週間ほど前なのですが,感想としてまとめるのが難しく,うだうだとしている間に時間が経ってしまいました。

ちょっとつかまえにくいですね。わかった気にはなれないです。宮本氏は民俗学者ということですが,奥深さというか広がりというかがとてもありそうです。

宮本常一という人を知ったのは,愛媛和解支援センターを通じてです。同センターは,松山の司法書士の松下純一さんが主宰する民間の調停(ミディエーション)機関です。「忘れられ日本人」でも,村の寄り合いのことが書かれていますが,そういう話し合いの文化を訪ねるツアーなどが和解支援センターで行われています。そういう話を聞いて,私も,宮本常一や「忘れられた日本人」に興味をもったわけです。

ですから,ADR的な関心としては,村の寄り合いに関してということになるのでしょうが,「忘れられた日本人」ではそれはごく一部の記述ですし,それ以外の記述があまりに面白いというか興味深く,未だに感想としてはまとまりません。

宮本常一は,昭和14年から日本全国を調査して歩いたということです。「忘れられた日本人」に出てくるのは,昭和20年代の半ばぐらいまでの調査かと思います。そこで,聞き取りをした古老の話が「忘れられた日本人」の中心をなしています。

語り手の古老は,幕末から明治,大正,昭和を生きてきた人々です。宮本による調査が行われたのは今から60年から70年ぐらい前,明治初年はそれより更に70年から80年前です。時間的には,近いような遠いような。しかし,その間に,社会は随分と変わってきたのだなあと思います。

古老の語る内容が,その時代の典型的なものであったのか,ごく特殊なものであったのか,それはよくわかりません。しかし,リアルにその時代が写し出されます。

われわれはどこに行こうとしているのだろう?「忘れられた日本人」を手に,この先何度か振り返ることになるのかもしれません。

私が一番気に入ったのは,このくだり

「人がほんとに住みついたのが明治20年頃,その頃には入江の向う側によく狐火がもえていたものでごいした。あんまり気持ちのええもんではなかった。それにまた,ほんに静かな晩に,天地もさけるような音のすることがあった。天道法師が飛行なさるのじゃろうなんどいうちょりましたが,明治30年頃になると家も百戸にふえ,その上紀伊の国からは毎年70ぱいくらいのブリ釣りが来るようになって,港はにぎやかになり,狐火も天道法師の飛行の音もせんようになってしまいやした。 やっぱり世の中で一ばんえらいのが人間のようでごいす。…」

そういう世界が本当にあったんだなあと。

2010年11月16日 (火)

「子どものこころのコーチング」

ADR関連でもあります。

「子どもの心のコーチング」(菅原裕子著・PHP文庫)を読みました。

菅原さんは,「ハートフルコミュニケーション」というNPO法人の代表理事を務めておられます。

http://ys-comm.co.jp/heartfulcommunication.html

「私たち親が自分と子の「生きる力」をどう引きだすかを考える場、
そして、日々のコミュニケーションにおいて親が子をどう受け止めるかを学ぶ場を、
ハートフルコミュニケーションは提供します。」

という活動のようです。

「子どもの心のコーチング」も,そんな子育ての本です。

私には,中学1年生の双子と,4歳の,3人の子ども(全部女の子)がおります。子育てに,特に悩んでいるというわけではありませんが,子どもをどうそだてるかということには大いに関心があります。また,「コーチング」については,私はあまり知識はありませんが,ミディエーションと近い距離にあるという認識はあります。

そんなんで,この本を手に取りました。

「第4章 心を結ぶ聴き方・伝え方」で述べられている,「聴く技術」は,ミディエーションでの「傾聴」や「ブレーンストーミング」と共通するもので,私には馴染みやすいものでした。内容は省略します。

今回は,親=子育て実践者として,刺激を受けましたので,それを書き留めておきます。

私がこの本で特に学んだのは,「ヘルプ」でなく「サポート」をすること,責任=「反応する能力」を教えること,「叱る」ことをやめて「人の役に立つ喜び」を教えること,でした。

1 「ヘルプ」でなく「サポート」すること

菅原さんは,親の役割は,子どもを自立させる「サポート」をすることであると書いています。代りにやってあげるのが「ヘルプ」,できるようになるように援助してあげるのが「サポート」です。赤ちゃんのときは,親は完全な保護者で,「ヘルプ」しなければならないが,少し大きくなれば,「サポート」に移行していくことが必要だ。「ヘルプ」は,子どもの自立の邪魔をしてしまう。ということです。

確かにそうですね。また,言葉にすると簡単なようですが,今していることが,「ヘルプ」なのか「サポート」なのかということに自覚的であることが必要だなと思います。

私は,特に下の子への接し方として,周りから「甘いなー」と言われます。批判を込めた評価ですが,私自身はあまり素直に受け入れることはできておりません。しかし,その時,その時の子どもへの接し方として,これは「ヘルプ」なのか「サポート」なのか,見極めていかなきゃいけないなと思いました。

2 子どもに教えたい3つの力

菅原さんによると,親が子どもに教えるのは,「愛すること」,「責任」,「人の役に立つ喜び」だそうです。

親が子どもを愛するのは,無条件の愛です。子どもは,そこにいるだけで,親に愛される資格がある。親が無条件の愛で包んでやることで,子どもは自分を肯定することができ,自分を好きになることができる。

責任=responssibilityとは,「反応する能力」。日常の反応しなければならないことに対して,積極的に反応すること。自分の行為という原因に対して生じた結果を自分で体験させることで,その能力は育つ。

ほめたり,叱ったりすることでは,子どものやる気は育たない。人の役に立つ喜びは,副作用のないやる気の種。

というようなことです。以下,これについての私の感想です。

・無条件の愛というお話は,以前,臨床心理士の古宮昇さんからも伺ったことがあります。古宮さんの表現によれば,

「○○ちゃん。あなたは,△△ちゃんみたいに勉強もできないけれど,□□ちゃんみたいに運動もできないけれど,☆☆ちゃんみたいに■■できないけれど,…私はあなたのことが一番大切だよ。」

という愛情ということでした。菅原さんが書いておられることと同じ意味だと思います。

古宮さんは,子どもがそういう無条件の愛情を十分に受けていれば,その子は,真に自分自身のために生きることができると仰っていました。それはそうだと思います。

・「責任」を教えるという自覚が,私には薄いのかなと思いました。「甘い」と言われるのもそういうことかもしれませんね。「ヘルプ」と「サポート」の違いがここに出てくるということも言えるでしょう。

・菅原さんは,「叱ること」に否定的です。叱ることが必要なのは,子どもが危険なことをしたときだけで,それ以外は,親の怒りをぶつけているだけだということです。

私は,それまで,「怒るのではなくて,叱ることが必要です。」などという警句を聞いたことがありましたが,「叱る」ことを否定するというのはちょっと意外でした。

菅原さんは,「禁止語と命令語は使わない」と書いていますから,そういうレベルで,強制的に子どもを従わせようとすることを否定しているということですね。

これは,なかなか難しいですが,やってみようと思います。

・ほめるということにも,菅原さんはちょっと否定的ですね。「ほめられるためにする」というような副作用があるといいます。なるほどという感じです。

・「人の役に立つ喜び」を教えるには,子どもが何かをしてくれたときに,それによってどういう気持ちになったかを伝えてあげればよいということです。

「えらいね。」ということではなく,「ありがとう。助かったよ。」とか,こちらがどういう影響を受けたかということを伝えることで,「人の役に立つ喜び」が育っていくということです。

「あなたメッセージ」ではなく,「私メッセージ」ですね。

これはもう,即実践です。なかなか大変ではあるかもしれませんが。

実は,早くも(?)実践の課題が登場しました。

こども園に,決まった時間に登園するという課題です。

みゆ(4歳)は,こども園(保育園と幼稚園が一緒になったもの)に通っていますが,いつも遅刻をしています。いつも「こども園嫌い。」とか言っており,登園の時間をなんとか引き延ばそうとしているのか,毎朝グダグダとしてしまいます。私も,みゆのグダグダに付き合ってしまい,遅刻を容認してしまっておりました。

今朝,担任の先生に,「朝から外で活動することが多くなりますので,もう少し早く登園して下さい。」とダメ出しをされてしまいました。

当たり前のことではありますが,定時に登園するという課題をクリアしなければなりません。

これは,親だけが努力すればできることではなく,みゆ自身に理解してもらい,取り組んでもらわなければいけない問題です。

遅刻をすると,みんながどう困るのか。遅刻しないためにはどうしたらいいのか。今日は,家に帰って,みゆと話し合いをしないといけません。

どうなりますやら?